檄文(そのV)

 

5期生ゼミ長(前期) 99E2427 森田正幸

 

 

 

今年もゼミ生に向かって偉そうなことが言える機会が得られました。常日頃から私の偉そうな言葉を聞いているゼミ生の皆さん、「また森田がー」と思わずに、一読してください。檄文というタイトルのように、「この文書によってゼミ生が何かを決起する、きっかけを与えられたらなー」と思って、これまで書いてきたつもりです。

 

1、自分と環境

愛知大学を卒業した現在、大学生活をよく振り返ることがあります。大学時代に重要な事だったと思うのは、やはり、人との出会いです。李春利先生をはじめとする愛知大学の先生方、サークルの仲間、ゼミ生、留学時代の友人。たくさんの人と出会い、その人からたくさんのことを学びました。

「自分とは自分自身だけではない。自分自身と周りの環境が自分である」という、私の好きな言葉があります。この言葉は自身が努力しているとき、苦しんでいるときに特に実感します。  

私の大学時代にこのような状態に最も当てはまったのが、大学院受験の時です。大学院受験は私にとって、とても高いハードルであり、大変な時期でした。そんな時に私の力となってくれたのは私の周りの環境を作ってくれる方々でした。大学に通わせてくれた両親、授業を履修していない私に対しても熱心に指導してくださった先生方、一緒の目標を持って切磋琢磨した戦友、「森田先輩頑張ってくださいね!」と励ましてくれたゼミ生、いつも国府駅から乗車するカワイイ女の子など。私に関った全ての人が良い環境を作ってくれたために自身の目標が達成できたと思っています。

「自分とは自分自身だけではない。自分自身と周りの環境が自分である」という言葉の裏には、目標達成のためには、自分の周りの環境を作ることが大切であるという意味を含んでいます。ですから、ゼミ生の皆さんも何かを決起する時には、まず環境を整えることに留意してください。

そして、「環境は人を変える」という言葉もあります。現在、何に対して努力をしたらいいのか分かっていない人、ただ何となく大学に通っている人、悩んでいる人にとっては、環境を少し変えてみることをお勧めします。

私は一年間中国に留学していましたが、日本生活時と中国生活時では環境が大きく変わったために、貴重な体験ができました。留学以前の日本生活時には、両親や先生以外で目上・年上の方と緊密に接する機会が多くなかったです。そのため自分自身の生活・能力について指摘される機会が少なかったです。しかし、そのような方と出会い、一緒に生活するなかで、自分自身の能力の低さ、考えの甘さを痛いほど実感することができました。

また、留学時代の友人には他国からの留学生が多数存在し、価値観が全く異なる外国の友人とのコミュニケーションは大変良い刺激になりました。このように、自分の周りの環境を少し変えるだけで、これまで出来なかった経験がたくさん出来るようになります。

そして、自分と異なった価値観を有する人との出会いは、自身の考え方、物事の捉え方の幅を大きく広げてくれます。現在の環境だけに満足をすることなく、より良い環境に自身をおくことに努めて下さい。その環境はきっと皆さん自身を大きく変えてくれます。

 

2、ゼミを振り返って

自分の周りの環境という点では、李春利ゼミは非常に良い環境であったと思います。李先生からは、これまでに自身の向上につながる機会を多数与えていただきました。中国、韓国への現地調査への同行、シンポジウム・講演会へのお誘い、考え方・知識の伝授と、とても貴重な体験・知識を得ることができました。将来大学教授に就きたいと、私が希望するようになった契機も先生と出会うことができたことにあります。このような先生に対して、私は最大の謝意と尊敬の念を抱いております。

 また、私はゼミ内でゼミ長という立場にたち、そのためゼミ生皆とコミュニケーションを比較的容易にとることが出来ました。ゼミ生皆が強い個性を持っており、皆とのコミュニケーションはとても有意義なものでした。中には、ゼミの時間はとても静かなのに、ゼミ時間外に話すと、強く自己主張する人もいました。そんな人に対しては「もっとゼミの時に、その熱意を出せよー」と思いましたが、同時に「この人の個性をもっと出せるようなゼミにしたいなー」とも思い続けていました。

人は立場、時、場所が変わると大きく変わるものです。色々な面のゼミ生を少しではありますが、見られたことは私にとって非常に良い経験でした。川口君が自転車で旅している時、田中君がバスケしている時、石丸君が釣りしている時、山田君がバンドで演奏している時、野田君がフルートを吹いている時、斎藤君が野球している時、伊藤君がサーフィンしている時、夏目・西山・鈴木君がラグビーしている時(これは見ました。三人のラグビーしている時の真剣な顔は良かったです)、太田・小塚・小林・下方さんが服選んでいる時(ゴメンナサイ。四人の趣味が分からなくて・・・)、楊さんが好きな人と一緒にいるとき(対不起。)、山本君が酒を飲んでいる時の活き活きとした一面をもっと見たかったです。

現三年生の六期生とも、色々な会話を交えることができました。全ゼミ生が非常に魅力的であり、そんなゼミ生と同じ目的や時間を共有することができたことは、私の大きな財産となっています。そして、完成するであろう今号のゼミ論集にも、その様子が反映されることを願っています。

 

3、贈る言葉

 では、自分の周りの環境をよくするためには、どうしたら良いのでしょうか?私が持っている答えは「自分が他人の良い環境になれなければ、自分も他人の良い環境になり得ない。」魅力がある人、助けてあげたい人に他人はひきつけられるものだと私は考えます。すなわち、良い環境を作るためには、魅力を既にもっているか、魅力的になろうと努力していなければなりません。もう既に魅力的なモノを持っている人に対しては、他人はその魅力から学ぼうとして近づきます。そして、魅力的になろうと努力している人に対しては、その人を魅力的な人に変身させ、何かを得ようとひきつけられます。

このことはゼミについても同じ事が言えます。昨年のゼミ論集にも書きましたが、私が持つゼミの目標は「全ての生徒が先生に」です。先生の授業を受けるということは、先生が魅力的であり、その先生が持っている魅力から何かを学びたいと思うことです(単位や卒業の関係で、ってことはありますが)。 

 すなわち、生徒が先生の役割を果たさなければならないゼミ時においては、何らかの魅力を有してなければなりません。ただ座っているだけ、ただ聞いているだけ、意見を求められても何も答えないという人からは魅力を何も感じることはできません。我々学生は知識が少ないのは当然のことです。しかし、少ない知識を努力して増やそうと思う気持ちは持っていなければなりません。そして、話しあわれている事象についての独自の意見を持つことは、もっと重要なことだと思います。

ゼミ時に必要とされる魅力を有していないことを恥じることはないです。しかし、魅力を持とうと思う気持ちを持っていない人は十分に自分を恥じてください。その気持ちはゼミに参加する絶対条件だと思います。

 以上のことは、大学卒業後の就職時にも言えることです。社会に出て活躍するためには、自分はどんな魅力を持つ必要があるのかを、常に考え行動してください。社会に出て、より魅力的なゼミ生と再会できることを楽しみにしています。私もゼミ生にとって魅力的な環境を提供できる一部分でありと思っていますので、これから努力して変身していきたいと考えています。

 

 自分の環境が魅力的になるということは、自分が魅力的になれるチャンスも大きくなります。ゼミ卒業後も互いに良い環境を与えられるように、魅力的になれるよう努力を続けていきましょう!(これは、五期生ゼミ長からの最後の命令です。)

 

 


before                                 after